ずっと考えていること
先ほどニュースを見てびっくりしました、。
まったく共通点はないのかもしれませんが、
先日も『タイムリーな日』でお話ししたように
ずっと考えていることがあります。
色々な情報が簡単に手に入る中で
どんどん潔癖になってゆく社会。。
色々な情報が手に入り
色々な人を認めたり
色々な人が声を上げられるようになって
でも、情報も一方的であったり誤報であったりもして
世界は広く自由になったように見えるけれど
非常に狭く不自由になっていっているようにも見え
返って真実は曖昧に深く沈んでいっている気さえして来ます。
(勿論犯罪は絶対にダメですが!)
作品を観て下さってそこから作者のイメージを持って下さっていて
実際の作者の私に会って話をするとがっかりさせてしまう。。
そんな経験が私には何度かあります。
本人にはどこがどうがっかりさせてしまったのか分からないのですが、
そんな日は、
お話ししない方が良かったのかな、とか
会場にいない方が良かったのかな、とか
とてもくよくよします。
どうしていたらいいイメージのままに出来ていたのだろうかと考えます。
この“おもひあつめ”もその視点から見た時に余分なことも
非常に多いのだと思います。
でも嘘をつきたくはないですし、
申し訳ないですが、私はこんなです。。
お天道様が見ているよ…
昔そんな言葉をよく聞きましたが
自分で、自分の行動に責任を持って自分の信じることをする。
いつもそんな結論になりつつ、
姿は変わらないですし、せめてもう少し静かにしていようかな
とか悩みながら明日も向かいます。
人は危うく曖昧で、だからこそ人間らしく、
お会いしてお話しして持たれた印象も、実はその人のほんの一部に過ぎないのかもしれませんね。。